凱旋門とルーブル美術館を結ぶ一直線の中間地点にコンコルド広場はあった。広場北側が建物に遮られているものの、東にチュイルリー公園、南にセーヌ川、西にシャンゼリゼ通りを望む開放的な大空間が広がっていた。
ここはルイ15世が自らの騎馬像を据えるために造った広場であった。その後、フランス革命の際に像は取り払われる。そしてルイ16世とマリー・アントワネットの婚礼披露宴がこの広場で催されるが、皮肉なことに革命後に2人ともこの広場に設置されたギロチン台で、露と消えていったのをはじめ1343名の命が奪われた。ここはパリが最も混乱を極めていた時代を象徴する場所でもあるのだ。
コンコルド(調和)広場と呼ばれるようになったのは1795年のこと。広場中央にはひときわ高く聳えるオベリスクは23mあり、エジプト王の代理モハメド・アリから1829年にシャルル10世に贈られたものである。そして両側には美しい二つの噴水が設置されていた。
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