お茶を楽しむような余裕など全くなかった。男働き盛りの頃は多忙な毎日で、私のスケジュールでの優先順位の中で「お茶」は考えもしないものであった。喉の渇きを癒し、食事、休憩、懇談時に無くてはならないものであるが、楽しむまでの意識はなかったのだ。 ある先輩のご自宅を訪問させて頂いた時のこと。お茶を一杯ご馳走になった。しかしその一杯が実に大層であった。茶壷、急須、茶碗、お茶の種類と量、更にはお湯の温度に入れ方等々。それにこれらの自慢話に講釈付き。ここまでして頂いての一杯の拘りのお茶。わが人生の中で初めて「味わう気持ち」を持たせてくれた貴重な体験となった。
一服のお茶であっても丹精込めたものであれば、本来のお茶を最高に引き立ててくれるものだ。そして一つの拘りで人生の大きな喜びを与えてもくれる。 京都府宇治市の中心街の宇治橋通や平等院通を歩いた。そこにはお茶の香ばしい匂いが辺り一面に漂っていた。少々疲れ気味であった私に、心落ち着き身体全身を癒してくれるのを感じた。日本人としてまるで故郷のような香りであるように思えた。不思議なひと時であった。
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