これまで幾度も松山を訪れている。ここは四国を代表する大都市であり、松平家十五万石として栄えた城下町でもある。更には3000年の歴史を持つ道後温泉をはじめ、興味尽きない私の大好きな素敵な町の一つでもある。しかしこれまではここが俳都であり、文学の町であるとの意識はなかった。 「春や昔十五万石の城下町」と松山を詠んだのは、近代俳句の父・正岡子規。彼は松山に生まれ、故郷をこよなく愛した一人である。その他に高浜虚子、河東碧梧桐、夏目漱石、中村草田男、石田波郷、芝不器男など、近代俳句の中心人物の多くが松山出身者、或いは松山ゆかりの俳人なのだ。なかでも山口生まれの種田山頭火は、全国を漂泊しながら旅先で句を詠み、松山を終の住処にした俳人である。「おちついて死ねそうな草萌ゆる」と。 俳句を始めて一年余りが過ぎた。今更ながら奥の深い文学だと、躊躇する毎日が続いている。この度7〜8年ぶりに松山を訪れた。街を歩いてみて驚いたことに、これまで見たことのない句碑・歌碑が、至るところに点在していることに改めて気付かされた。ここは俳句の都であり、俳句王国なのだ。
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