◆大衆演芸場

 自宅から100mほど離れた所に適当な空地があった。そこは子供達にとって格好の遊び場となっていた。縄跳び、かくれんぼ、ちゃんばらごっこ、コマ回し、凧揚げ等。当時の子供はお金を掛けないで、むき出しになった大地の土とともに、昔から続いている遊びを楽しんだものだった。

  そこにある時、大きな芝居小屋が建った。高い幟が何本も立ち、劇団の名前、座長の名前などが書かれて風に揺れていた。正面入口の大きな看板には、人気俳優が魅力的に描かれていた。特に時代劇の演目が多いのか、侍姿は格好良かった。娯楽の少なかった時代である。さらに歩いて10分以内に、なんと映画館が5軒もあったのだ。しかしテレビの出現は町の様子をすっかり変えてしまった。芝居小屋はマンションに。映画館はパチンコ屋に専門店に変わってしまった。

 大阪ミナミの道頓堀に角座はあった。1652(慶安5)年に開場した中座は、道頓堀五座(浪花座、中座、角座、朝日座、弁天座)の芝居小屋の1つとして、劇場・演芸場が興業された。戦災、経営の移行等、様々な変化を経て松竹系の映画館「角座1」、「角座2」として現在に至っている。

 同じ道頓堀の中でも戎橋南詰めには、ミラノスカラ座をモデルにしたネオ・ルネッサンスの豪華な建物がある。それは最も古い美しい建物の1つでもある「大阪松竹座」である。1923(大正12)年に誕生している。557席の劇場には、有職麗華の格調高い緞帳に象徴される立派なものであった。毎月変わる公演は多くのファンに守られている。伝統を守る人達に拍手を贈りたい。

撮影2007年春