「フランスではボトルに水を入れて売っている」と、この話を聞いたのは今から40年前のことである。水を売っているなんて、とても当時の日本では考えられなかった。驚きの話であった。水道の水はそのまま飲めるし、安全だと信じている。レストラン、喫茶店等、お水は自由に御代わりが出来た。しかし当時の大阪での水道水は実に不味かった。特に夏場は飲みたくなかった。 阪神淡路大震災を神戸・長田区で経験した私にとって、水道の蛇口を捻ってみても、一滴の水も出ない辛い思い出がある。水道とは捻れば水が出るものと思い込んでいた。断水は長期間に渡って続いた。朝起きて先ず水で喉を潤し、歯を磨き、猫のようにして顔を洗った。何とそれをコップ一杯だけの貴重な水でやってのけたのだ。私達被災者は水のありがたさを誰よりも知っている。 JR大阪駅より新大阪駅に向かう途中、淀川を渡りきるとレンガ造りの建物と、広大な土地が開けていた。大阪市水道局の施設である。赤レンガと御影石の調和が実に美しいネオ・ルネッサンス様式の建物は、改装された「水道記念館」である。この施設は1914(大正3)年に完成してより、1986(昭和61)年まで大阪市の主力ポンプ場として活躍した「旧第1配水ポンプ場」の建物を保存活用したもの。
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