平安時代の中頃、菅原孝標女によって書かれた更級日記は、作者が1020(寛仁4)年13歳から1059(康平2)年にかけて、52歳頃までの約40年間の回想録である。そのなかに「まどろまじ こよひならではいつかみむ くろとのはまの秋のよの月」とある。「くるとのはま」とは千葉県幕張海岸付近のことで、作者13歳の時にこの辺りで宿泊した際、綴られたとされている。 千葉県立幕張海岸公園の日本庭園「見浜園」を訪ねたのは、前日の雨が見事に晴れ上がる日本晴れの美しい日であった。園内には京都北山杉を用いた数奇屋造りの本格的茶室「松籟亭(しょうらいてい)」があった。この名前は更級日記より「松原しげりて月いみじうあかきに 風のをともいみじう心ほそし」からイメージして名付けられたもの。
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