◆岡山城の威厳

 戦争のために造られた建物が城である。敵の攻撃を想定して石垣は高く、大きな堀に水を満々と湛えている。そして迷路のような通路は、一度に大量の人が通れないように考えられている。そこには身を守るために、あらゆる防御策が集約されていた。

 一方の目で見ると、城自体は威厳と誇りを持っており、城主の人間性から権力の象徴としての姿が現れている。そしてそこには建築美も兼ね備えているのだ。 岡山城を訪ねたのはこれで3度目であった。岡山市内の大都会にあって、そこは静かな環境の中にあった。城の北と東には、あえて旭川の大河の流れを変えて堀の役目を巡らせ、敵方の侵入を困難にしている。したがって南と西だけに防御を固めればいいのだ。素晴らしい立地条件を備えた要塞である。

 豊臣五大老のひとり・宇喜多秀家が、今から400年余り前の1597(慶長2)年に岡山城を築城。57万石余の大名に相応しい名城であった。近くにあった姫路城(世界遺産)が白鷺城であったことに対して、岡山城は壁の黒さから烏(からす)城とも呼ばれた。しかし関が原の戦いで西軍に属したため領地は没収。その後は小早川秀秋に移り、更には池田輝政の次男・忠継が入り、明治に至るまで池田家が城主を勤めた。

 私は戦いのための城は好きではない。しかし文化的価値としては高く評価したい。そして今の時代にこれだけの空間を取ることは不可能である。多くの人の癒しの場となっているのだ。

 撮影2006年春