その日の広島は小雨が降り続く暗い一日であった。原爆ドームも原爆記念公園も、傘を差しての見学であった。足元は雨の跳ね返りで靴もズボンもびしょ濡れであった。更に歩いていると広島城が見えてきた。ここは平城ということで、平らな場所に作られた城の典型的なお手本であった。 広島城は明治に入ってからは、1894(明治27)年の日清戦争の時には、東京より大本営が移されている。つまり明治天皇は広島に行幸し、約8ヶ月の戦争が終わるまで帝国会議も城内で召集。事実上この間の広島は、日本の首都であったのだ。
もともと広島城は豊臣秀吉の応援もあって、毛利輝元によって1589年に築城。関が原の戦いの後は福島正則の居城となっている。さらにその後は浅野長晟が入城し、明治時代に至るまで12代約250年間の、永きに渡って続いている。忠臣蔵の赤穂藩主浅野内匠頭は分家にあたる間柄である。またその頃から鯉城と呼ばれるようになり、その鯉にちなんでプロ野球の広島東洋カープのカープ(鯉)が名付けられたとか。 |