今から1400年前、日本の中心は奈良であった。飛鳥時代といってもなかなかピーンとこないが、聖徳太子、天武天皇、持統天皇、更には中大兄皇子、藤原鎌足、そして蘇我入鹿や馬子などの蘇我一族等の名前が思い出される。しかし当時を知るための建物をはじめ、歴史遺産、資料は殆ど残っていない。僅かに残されているその代表的な史跡の一つに「石舞台古墳」がある。
これまでこの古墳の写真は教科書をはじめ、奈良の観光パンフレットなどで何度も見たことがある。古代ロマン溢れる興味ある遺跡であった。これは蘇我馬子の墓と伝えられている。そして石舞台の名の由来は、月夜に狐が美女に化けて石の上で舞ったという伝説によるものだ。 この辺りは長閑な田園風景が続く緑一色の丘陵地帯であった。時折吹いてくる夏の暑い風には、長い歴史の香りと共に、田舎特有の緑が臭った。そんな中でこれまで願っていた感激の対面となった。それは近くから見ると大きな石の固まりであった。これまで写真で何度も見ていると、初めてであっても何とも親しみを感じ、懐かしい思いさえするから不思議だ。全長19.1m、高さ7.7m、重さは75tを超えていると思われる。そして30数個の巨石を積み上げて造られた古墳は、日本最大級の横穴式石室で飛鳥のシンボルの一つである。
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