琵琶湖の東北部に広がる滋賀県彦根市は、鈴鹿山系までの豊かな平野と、自然に恵まれた地域であった。ここは古くから東海道の要衝として発展。特に戦略上では重要な位置付けが成されていた。したがってここにはその時々の有力者が統治していた。 豊臣秀吉の直臣であった石田治部少輔三成は、近江国の要衝であるここに佐和山城を築いている。「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」と言わしめたように、その一つは三成配下の勇将・島左近勝猛と、絢爛豪華な佐和山城であったとされる。
1600(慶長5)年の関ケ原の合戦で徳川家康率いる東軍が勝利。三成率いる西軍が敗れ、徳川四天王の一人・井伊直政が佐和山城主となる。その後、佐和山城は1603年には彦根藩により新城着工となり、大津城、長浜城、小谷城、安土城の資材を移築し、20年余り掛けて第一級の軍事要塞・彦根城を完成させた。井伊家といえば幕末の桜田門外の変で有名な、大老・井伊直弼を思い出す。彼は13代目の彦根藩主であった。井伊家は明治維新まで、17代藩主と共に彦根城は続いた。 |