お互いの腹に鋭利な刃物を突きつけあって、「お前が刺したら、俺も刺す」と。 緊張のなかに平和の均衡は保たれていた。何とも物騒な危険極まりない対話である。鋭利な刃物とは核兵器のことである。つまりお互いが核兵器を持つことで、相手の国も全滅するが、わが国も全滅してしまう。それがこれまで世界を二分してきた東西の平和構築の構図であった。核は絶対的な力を持っていた。 1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、人類史のなかで最も悲惨な出来事が起こった。アメリカ軍による世界初の原爆投下は、広島市の上空570mで炸裂した時間である。その時、空中に直径100mの火球ができ、その温度は100万度以上に達していた。爆心地直下では3000度〜7000度となり、それが3秒間続く。鉄は1500度で溶け、太陽の表面は5700度。広島の町の全てが一瞬にして破壊されてしまった。その結果、家屋、建物、財産は当然ながら、20万人もの尊い生命が犠牲となった。 広島市内の中心街に、チェコ人建築家ヤン・レツルがデザインした「広島県物産陳列館」が完成した。それは1915(大正4)年のことで、ひと期は目を引く豪華でモダンな建物であった。広島の人達から大変に親しまれ、各種催し物をはじめ、博物館・美術館、更に多様な利用がなされていた。レンガ積みの表面に、モルタルを塗りつけた三階建の建物。その中央の五階建ての頭に「ドーム」はあった。
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