◆太閤園の庭

 ここに居ると大都会の騒々しさを忘れてしまう。池を中心にした周りの木々は、相当な歴史を感じる大木となり鬱蒼と茂っていた。小鳥たちが可愛い声で囀っているのが聞こえてくる。時折吹いてくる爽やかな風が、花々を静かに揺らしていた。池には鯉が悠々と泳いでいた。そうした日本庭園の見事な調和が、一層安らぎを感じさせてくれた。

 大阪城より北へ少々歩くと、大川(旧淀川)沿いの一角に「太閤園」はあった。これまで結婚式、宴会、食事に喫茶、待ち合わせ場所として何度も来たことのある場所だ。7000坪の敷地には広々とした日本庭園に、歴史の重みを感じる見事な日本建築。それは実に落ち着いた佇まいであった。ここは大阪で私が最も好きな場所の一つでもある。

 太閤園の歴史的経緯を紐解いてみれば、1908(明治42)年、当時関西財界の雄であった藤田伝三郎翁が、この辺り一帯を埋め立てて築造した網島御殿が元となっている。1945(昭和20)年の終戦間際の戦災により、本邸と西邸を消失。幸いにも東邸が免れて現在の太閤園となったのである。

 何度も訪ねておきながら、庭園をゆっくりと見ることはなかった。ここは築山式回遊庭園で香川県小豆島、大阪・生駒山などの立派な自然石が使われていた。幸運にも桜の花が満開であった。歩いていると時折甘い香りが漂ってくる。中国原産で室町時代に渡来した沈丁花であった。スズランのような白い提灯を、いっぱい付けた馬酔木(アセビ)も今が盛りだ。静かな庭園は四季を感じさせ、心を豊かにしてくれる。

撮影2006年春