ここに居ると大都会の騒々しさを忘れてしまう。池を中心にした周りの木々は、相当な歴史を感じる大木となり鬱蒼と茂っていた。小鳥たちが可愛い声で囀っているのが聞こえてくる。時折吹いてくる爽やかな風が、花々を静かに揺らしていた。池には鯉が悠々と泳いでいた。そうした日本庭園の見事な調和が、一層安らぎを感じさせてくれた。
大阪城より北へ少々歩くと、大川(旧淀川)沿いの一角に「太閤園」はあった。これまで結婚式、宴会、食事に喫茶、待ち合わせ場所として何度も来たことのある場所だ。7000坪の敷地には広々とした日本庭園に、歴史の重みを感じる見事な日本建築。それは実に落ち着いた佇まいであった。ここは大阪で私が最も好きな場所の一つでもある。
太閤園の歴史的経緯を紐解いてみれば、1908(明治42)年、当時関西財界の雄であった藤田伝三郎翁が、この辺り一帯を埋め立てて築造した網島御殿が元となっている。1945(昭和20)年の終戦間際の戦災により、本邸と西邸を消失。幸いにも東邸が免れて現在の太閤園となったのである。
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