◆渋沢栄一の生涯

 一個の人間が生涯にわたって、どれほど多くの歴史を残せるか。偉大なる人物と言われる人は少ない。限られた人しかいない。その中にあって近代日本の経済界に、大きな影響と基礎を築いた人物の一人が「渋沢栄一」であると思う。彼を知れば知るほどその行動力、実行力に頭が下がる。一人の人物がこれほどまで、多くのことをやってのけたのかと。

 東京・北区にある飛鳥山公園の一角に「渋沢資料館」はあった。この辺りは渋沢栄一の旧邸があった場所で、戦災を免れて「晩香廬」(洋風茶室)、「青淵文庫」(書庫)なども残っている。渋沢栄一は1840(天保11)年に現在の埼玉県深谷市の農家に生まれている。大蔵省を辞して第一国立銀行の頭取となってからは、日本経済の近代化に尽くすことになる。そこからの人生がすごい! 銀行のほか、鉄道、汽船、紡績、製紙、精糖、科学、造船、造機、建設、ガス、電力等の株式会社の設立に、経営指導に関わる。その企業の数は500に上るというから大変なことである。更に経済人のための「東京商業会議所」をはじめ、「東京銀行集会所」や「東京株式取引所」なども設立している。

 彼が成功した理由はたくさんあるが、第一に挙げられるのは健康に恵まれたことである。91歳のそれも現役のなかで逝去されている。当時の平均寿命からして、普通の人の2倍長生きしているのである。第二には自分が信ずる師匠・一橋慶喜(徳川大15代将軍)との出会い。第三に鎖国状態にあったなかで、パリ万国博覧会に出席。世界の先端をいく社会、経済を学ぶチャンスに恵まれたことにある。

 人生を成功させるには努力が最も大事であると思う。それに加えて健康な身体、恵まれたチャンス、幸運といったものが大きく左右するものと思われる。頑張ろう!今からでも。

撮影2006年 春