◆ 白亜の仁風閣

 明治時代の文明開化では、外国からの文化が音を立てて日本に入ってきた。同じように敗戦後の日本もアメリカを始めとして、欧米文化が大量に入ってきた。もともと海に囲まれた島国であるためか、舶来品は入ってきにくいことは事実だ。私の子供の頃は外国の製品は全て優れているとの、錯覚にも似てブランド商品を信奉する風潮が出来上がった。

 時計を見て、万年筆を見て、「舶来品」ともなればそれだけで高い評価となるのだ。私も一時はネクタイはイタリア製、ネクタイピンとライターはフランス製、時計はスイス製、万年筆はドイツ製、ボールペンはアメリカ製、スーツは英国製等。身に着けている物だけでも、舶来品は数点持っていたことになる。それだけでその人のステータスが上がったように評価されるから不思議だ。

 鳥取市内の中心に小高い山があり、そこに鳥取城跡があった。その脇にフレンチ型ルネッサンス様式を基調とした「仁風閣」が建っていた。それは白亜の木造瓦葺二階建の美しい洋館であった。周りの環境からして、何故この場所にこのような建物があるのだろう。率直な疑問が湧いてくる。

 これは1907(明治40)年に、元鳥取藩主・池田仲博が建てたもの。完成後に時の皇太子殿下(後の大正天皇)の山陰行啓の宿舎として使用される。その時に随行した東郷平八郎海軍大将が命名。建物の印象としては天井が高く、明るさを充分に取り入れた大きなガラス窓。モダンな照明器具に、洋式の家具、マントルピース、螺旋階段等。山陰に残る唯一の洋風建築は、国の重要文化財に指定されている。

 舶来品の建物を見て、当時の日本人は驚き憧れたであろう。一時期下火になった舶来品の熱は、今またルイヴィトン、エルメス、プラダ、グッチ等の舶来のブランド商品が人気を集めている。いつに時代であっても優れたデザイン、価値ある商品は誰からも愛されるのであろう。

撮影2005年 秋