◆小泉八雲の世界 

 私には在日外国人と呼ばれている友がたくさんいる。みんな異国の地・日本で必死に頑張って生きている。彼らと話していると、まるで世界旅行をしているような錯覚を覚える。これはあくまでも私個人の感想だが、アジアの国々から来られた人達とは比較的親しみを感じる。顔立ち、体型、生活様式も似ているからかも知れない。しかし欧米人といわれる人達には、何故かコンプレックスを感じてしまう。目の色がブルーで、髪の毛が金髪。体型的にも大きく、それに誰を見てもみんな映画スターに見えてくるのだ。

  小泉八雲はそんな欧米人の一人であった。アイルランド人の軍医であった父と、ギリシャ人の母の間に生まれたパトリック・ラフカディオ・ハーン(本名)は幼い頃に両親が離婚。20歳の時にアメリカに渡り、新聞記者として働きながらフランス文学の翻訳、紀行文などで文名を高める。

 来日したのは1890(明治23)年で彼が40歳の時であった。初めての仕事は島根県松江中学の英語教師であった。その後亡くなるまでの14年間、熊本、神戸、東京に移り住み、旅をしながら日本の姿を作品にして世界に発信した。その間、東京帝国大学、早稲田大学の講師を務め、英文学の講義をする。松江時代に小泉節子と結婚。来日6年後に日本国籍を取得。小泉八雲と改名する。

 鎖国が開けて間がない日本にあって、外国人というだけで大変な苦労があったことと想像する。言葉のハンディーは勿論のこと、文化、習慣、生活等、全く違うなかで戸惑うことばかりではなかったか。祖国への郷愁もあったに違いない。しかし彼は「日本雑録」、「知られざる日本の面影」、「東の国から」、「心」、「怪談」等を果敢に執筆している。日本をこよなく愛した元外国人「小泉八雲」に、私はその波乱万丈の人生勝利の彼に、心から尊敬の念をこめて拍手を贈りたい。

撮影2005年 秋