◆敦賀湾で一句

 そこは穏やかな海であった。敦賀湾から見る海は若狭湾に広がり、日本海に続く青一色の世界であった。広い大空と満々と湛えた大海。この大自然のなかでは、人間はあまりにもちっぽけな存在でしかないことが分かる。

  大空間の大空にあって、鳥が通る道があるという。大海原であっても魚の通る道があるという。とはこの若狭湾で、漁師をする人物が語った言葉だと記憶している。魚は海のなかで自由に泳いでいるものと思っていたが、実はそうではなかったのだ。それが証拠に魚つりで、魚の通る道から逸れれば、全く釣れないのはそれなのだ。長年の経験から魚の道を知っているから驚きだ。

  敦賀の地は松尾芭蕉にとって「奥の細道」の最終コースであった。時に46歳であった。「名月や北国日和定めなき」とは、北陸の天気は移りやすく予想が付きにくい。その結果、名月を見損なった残念な思いを歌に託したものである。「波の間や小貝にまじる萩の塵」との旅情豊かなものもある。

  一方、高浜虚子も1957年10月にここを訪れ「松原の続くかぎりの秋の晴」、更に「秋風にもし色あらば色の濱」と敦賀湾を見て歌っている。その昔には「万葉集」にもいくつか歌われた場所として記録に残っている。そこで私も一句「静けさや青い世界に秋の海」。失礼致しました!

 撮影2005年 秋