そこは穏やかな海であった。敦賀湾から見る海は若狭湾に広がり、日本海に続く青一色の世界であった。広い大空と満々と湛えた大海。この大自然のなかでは、人間はあまりにもちっぽけな存在でしかないことが分かる。
大空間の大空にあって、鳥が通る道があるという。大海原であっても魚の通る道があるという。とはこの若狭湾で、漁師をする人物が語った言葉だと記憶している。魚は海のなかで自由に泳いでいるものと思っていたが、実はそうではなかったのだ。それが証拠に魚つりで、魚の通る道から逸れれば、全く釣れないのはそれなのだ。長年の経験から魚の道を知っているから驚きだ。
敦賀の地は松尾芭蕉にとって「奥の細道」の最終コースであった。時に46歳であった。「名月や北国日和定めなき」とは、北陸の天気は移りやすく予想が付きにくい。その結果、名月を見損なった残念な思いを歌に託したものである。「波の間や小貝にまじる萩の塵」との旅情豊かなものもある。
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