◆ 駿府公園の変遷

 静岡市民の憩いの場として、市の中心街に素晴らしい公園があった。徳川家康ゆかりの駿府城が、今では駿府公園に生まれ変わっている。公園は城の堀に囲まれていた。中は大変な広さのスペースである。その一部に「紅葉山庭園」という見事な日本庭園があった。池を中心に富士山を模った小山、森、植木の配置が実に素晴らしい。それに落ち着いた茶室もあり、心を和ませてくれる不思議な雰囲気を持っていた。そして広場ではたくさんの人で賑わうバザールが開催されていた。

 歴史を紐解いてみると、徳川家康は愛知県三河の岡崎城に生まれているが、8歳から19歳までの11年間を人質として駿府城で過ごしている。多感な時期を家康は様々な勉強、訓練、人との出会い等、貴重な経験を積んでいる。これらが後の人生に大いに影響していったことは間違いない。天下人にまで上り詰め、やがて次を息子の秀忠に任せることになる。家康は江戸を後に、最も馴染みのある駿府城へと戻ってきたのである。しかし厳然とその権力は維持したままであり、したがって隠居とはいえど、駿府城は絢爛豪華な城に手を加えられていった。

 長い年月が経過した。時代が明治に変わると駿府城は廃城となり、明治30年から終戦まで陸軍第34連隊の兵営となる。その後の昭和26年に「駿府公園」と名付けられ、市民から親しまれる広場として現在に至っている。公園内に犬を連れ、散歩を楽しむ人達に出会った。近所の人達であろう、皆さん平和な時代を身体いっぱいに感じ、実に幸せそうな顔をされていた。

撮影2005年 秋