赤城山と聞けばある素晴らしい人物を思い出す。それは学生時代を東京で過ごしていたときの頃である。彼は早稲田大学の学生であった。いつも黒い学生服で、その上に赤ちゃんを背中に負ぶって学校に通っていた。たしか姉の子供を面倒見ていたように記憶する。度のきついメガネをかけ、髭が濃く、男臭い姿であった。見栄も体裁も何もない苦学のなかでの学生生活。その彼の出身が群馬県「赤城山」近くであったのだ。 東海林太郎の「赤城の子守唄」を思い出す。 「♪〜泣くなよしよし ねんねしな 山のカラスが啼いたとて 泣いちゃいけない ねんねしな 泣けばカラスが またさわぐ ♪〜」 有名な曲だ。おそらく彼も背負った赤ちゃんに、遠い故郷「赤城山」を偲んで唄ってあげたに違いない。
さらに「名月赤城山」もある。 「♪〜男心に 男が惚れて 意気が解け合う 赤城山 ♪〜」 |