明治から昭和初期にかけて、日本の政治、経済を担った高橋是清の自宅を訪ねた。この家は1936(昭和11)年2.26事件の現場でもある。それまで港区赤坂にあったものを、現在の小金井市にある「江戸東京たてもの園」に復元して一般開放されている。
高橋是清の人生は実に波乱万丈であった。少年時代にアメリカ・サンフランシスコに留学。そこで奴隷も経験。そして芸妓のヒモとなり。英語の教師。相場詐欺に引っかかり、さらにはペルー鉱山開発詐欺にも遭う。日銀総裁、蔵相、農商務相、そして日本国の首相にまでなる。しかし最後は財政引締めの方針により、軍部と対立することになり、2.26事件で暗殺される。
自宅内を見学させて頂いた。これまで江戸、明治の時代に建てられた部屋を、何度も見学したことがある。そこは柱が多くて部屋は狭い。照明も足りないため暗い感じを持っていた。それに比べると二階南側は8畳と10畳の二部屋。広々とした空間に、窓が大きいため部屋はとても明るい。窓ガラスは筋が入って歪んで見える、本物のガラスであった。当時としては新しい設計であったのであろう。それは豪華な日本建築の屋敷であった。
彼の人生のポイントは、子供の時より頑張り屋で優秀な人間であった。しかし当時の日本人の誰もが経験しないことを、身体で学んだところにある。それは「留学」であり、全てはここからスタートしている。誰も知らない外国を見てきた国際感覚。英語ができる特技。日本は彼を必要とした。そして更なる経験と努力がやがて途轍もない大きな人間に育てた。人間は死に方よりも生きてきた歴史の方がもっと大事である。彼の生き方こそ若き日の私の目指す人間像であった。しかし夢破れ方向転換せざるを得なかった私であった。今となってみればその方が幸せなのかも。 撮影2005年 夏
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