◆故郷は東京・中野区

 東京・中野区は私の第2の故郷だ。青春時代の9年間を過ごさせて頂いた。月4,000円の家賃は、個人の家の2階の一部屋(四畳半)のみ。布団一式があるだけで、他に何もない貧しく不自由な生活であった。今思えばとても耐えられない生活である。しかしその頃は若かったのであろう、不思議なことに住めば都なのか、それほど苦にはならなかったのだ。

  下宿からJR中野駅まで徒歩で15分。とても便利とは言えない距離であった。駅前にはアーケードのある商店街が続き、いつも人通りの絶えることがないほど賑わっていた。そのすぐ西には中野区が誇る高層ビル「中野サンプラザ」があった。大ホールではいつもコンサートが開催されていた。そしてホテル、結婚式場、レストラン、スポーツ、ボーリング、カラオケ、会議室等、楽しい所なのである。

  中野区は山の手であって庶民の町でもある。一昔前までは学生の町として、若者が沢山住んでいた。しかし各大学が都心を離れ、八王子に代表されるように、郊外へと次々に移転していった。したがって住んでいる人の層が微妙に変化していったのだ。

  中野で有名なものと言えば、大相撲の貴乃花部屋、そして警察大学(元陸軍中野学校の地)、中野刑務所があったが移転してしまった。つまり何もないのだ。あるのは家ばかりの住宅地域。でもここが私の愛するお世話になった町なのだ。辛かったこと、哀しかったこと、嬉しかったこと、楽しかったこと、私にとって青春時代の思い出が沢山詰まっている。中野区の素晴らしいところはと聞かれたら即座に答えます。「ここは素晴らしい人情の厚い町」だと。

撮影2005年 春