◆秋葉原での災難

 秋葉原と聞いただけで、電気の街をイメージするほど有名だ。日本はもとより世界にまで轟いている。駅周辺の狭い地域に、様々な店がひしめき合って並んでいる。ここに来れば家電製品から、オーディオ製品、あらゆる電気機器のパーツ(部品)に至るまで揃う。しかも超安値で購入出来るから嬉しい。

 ここの歴史は大正末から昭和にかけて、何軒かの電気店が集まり始め、戦前のラジオブームと共に発展を遂げた。戦後焼け野原より、再びこの地より電気店の灯が燈った。今では約300店舗が軒を連ねており、客足が絶えることはない。

 それは1970(昭和45)年の寒い冬のことであった。大学一年の私は友人と共に、秋葉原駅前にある製氷工場にアルバイトに行った。当時は冷蔵庫があまり普及していなかった時代で、氷は貴重な存在であった。仕事は時間的にも肉体的にもきつく、技術も要求された。良かったのは収入だけであった。そのお金で生活費に当て、新しい帽子も買った。

 夜10時に工場に入り、まず仮眠を取る。そして朝の2時に起きて仕事をする。災難が起こったその日も、夜10時までに工場に入った。社員の人達はお酒をかなり飲んで上機嫌であった。みんな一緒に布団に入った。夜中ふと気が付くと社員の一人が起き上がって、部屋の隅のほうでゴソゴソしている。するとその場でなんと!小便をしてしまったのだ。

 その人はそのまま布団に入って寝てしまった。私も疲れて寝てしまった。朝起きてビックリ!買ったばかりの私の帽子がそこにあり、ビシャビシャに濡れているではないか。ショックであった。水をかけて洗い流してみた。しかし酔っ払いの“おっさん”の顔が目に浮かび、とてもかぶる気になれなかった。酔っ払いは嫌いだ。大嫌いだ。そういう私も愛する家族から、同じような言葉を聞かされることがある。「残念!」

撮影2005年 冬