「ありがとうございました。これから頑張って生きてまいります!」 不安を抱えながらも、故郷の島に帰れる喜びのほうが大きかった。これは火山噴火により東京都三宅村、つまり伊豆諸島の三宅島の村民3800人が避難指示を受けて離島。絶望に打ちひしがれるなか、本土に着いたのが竹芝桟橋であった。そして2005(平成17)年2月1日、三宅村の災害対策基本法の避難指示は解除された。帰島が許された。その間4年5ヶ月が経過した。そして再びこの竹芝桟橋より出発していったのである。 私が竹芝桟橋を訪れたのは、帰島第一陣62人がここから出発して3日後のことであった。テレビ・マスコミで大きく報道された。関係者にとっては嬉しい嬉しいニュースであったに違いない。これまで一日たりとも三宅島を忘れたことがなかったと思う。仮生活には慣れたものの、地に足が着かない不安定なものであったであろう。
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