戦争ほど悲惨なものはない。人類の歴史は愚かな戦争を何度も繰り返し経験しておきながら、今なお一部の指導者のエゴと利権により、世界の各地で争いは続いている。その犠牲になるのはいつの時代にあっても弱者である老人、子供、そして女性達なのだ。 第一次世界大戦で日本は同盟国イギリスの要請を受け、ドイツに宣戦布告をする。時に1914(大正3)年のことであった。当時ドイツ領だった南洋諸島の「青島」には5000人のドイツ兵がいたが、そこに3万人の日本兵を送り込み陥落させた。4700人のドイツ兵が俘虜され日本各地に収容される。その内ここ鳴門市には、約1000人が3年間に渡って収容された。人権の尊重を認める方針には自由で快適な収容生活を送れる結果となる。所内で音楽堂、図書館、レストラン、商店街等もでき、教育・文化活動も活発に行われた。そうしたなか、国内初のベートーベン「交響曲第九」も演奏され、1000回も超える演奏会が持たれるに至った。 |