◆ ドイツとの友好の架け橋

 戦争ほど悲惨なものはない。人類の歴史は愚かな戦争を何度も繰り返し経験しておきながら、今なお一部の指導者のエゴと利権により、世界の各地で争いは続いている。その犠牲になるのはいつの時代にあっても弱者である老人、子供、そして女性達なのだ。

 第一次世界大戦で日本は同盟国イギリスの要請を受け、ドイツに宣戦布告をする。時に1914(大正3)年のことであった。当時ドイツ領だった南洋諸島の「青島」には5000人のドイツ兵がいたが、そこに3万人の日本兵を送り込み陥落させた。4700人のドイツ兵が俘虜され日本各地に収容される。その内ここ鳴門市には、約1000人が3年間に渡って収容された。人権の尊重を認める方針には自由で快適な収容生活を送れる結果となる。所内で音楽堂、図書館、レストラン、商店街等もでき、教育・文化活動も活発に行われた。そうしたなか、国内初のベートーベン「交響曲第九」も演奏され、1000回も超える演奏会が持たれるに至った。

 地元の日本人とも親しく交流が持たれたことはいうまでもない。その後の交流は今も続き、1993(平成5)年には鳴門の田舎風景の中で突如、豪華で立派な洋館が現れる。「ドイツ館」である。ベートーベンの情熱的な演奏の指揮の像の前に立つと、第九の「歓喜の歌」が聞こえてくるように思えた。「国際交流」美しい言葉である。しかしこれを実行するのは大変困難なことである。政治・経済のレベルは勿論、文化、教育をはじめ、民間交流、相互理解が重要である。

 私にはドイツに二家族の友好を続けている友人がいる。一家族はジュッセルドルフ近郊に住むスターリーさん。もう一方はハンブルクに住むガドモスキーさん。ともに日本人の奥さんとドイツ人のご主人との国際結婚である。日本に里帰りすれば必ず我が家に宿泊される。夜を徹して日本をそしてドイツを語り合い、情報を交換しお互いを理解する。私にとってドイツは親しい身近な国なのだ。

撮影2004年 夏