◆ 横浜税関に文句を言いたい!

 四方を海で囲まれた島国・日本は、昔から外国からの侵略に対しては自然の要塞に守られ、稀に見る恵まれた地理的状況にあった。しかしその反対に外国との交流が遅れたことも事実である。江戸時代の300年もの鎖国政策は世界から完全に孤立してしまい、国際社会から大きく取り残される結果となってしまった。江戸時代末期の1853(嘉永6)年6月、アメリカのペリー提督率いる4隻の黒船が、神奈川県の浦賀沖に現れ開国を要求する。次の年には水・食料・燃料を補給する等の日米和親条約が結ばれた。更に貿易を行うための通商条約を要求し、1858(安政5)年6月日米修好通商条約を結ぶ。続いてオランダ・ロシア・イギリス・フランスの4カ国とも同条約を結び、函館・横浜・長崎・新潟そして神戸を開港する。その内の函館・横浜・長崎に「運上所」が作られ、今の税関の始まりとなったのであります。

 国際社会をリードする現代のアメリカが抱えている大きな社会問題の一つに、銃の所持がある。銃の乱射を始め、銃を使っての殺人がいとも簡単に、それも日常茶飯事に起こっている。更には麻薬による中毒と犯罪も同じである。密入国然りである。アメリカを始め国境が陸続きの所は、密輸の取締りがどうしても困難を極めていることも事実である。日本でも無いとは言い切れないが、島国に守られ数の比較からしてとても考えられない。本当にありがたいことである。

 30年以上も前のことだが、横浜港に停泊していた外国航路の船に、友人が乗船しており訪ねることにした。船の生活は私にとって大変に興味があった。時間の経つのも忘れる程に対話は弾んだ。しばしの別れを惜しみつつ、車に乗って港を出ようとした時、税関の職員に検問をされた。ポケットに入っている持ち物の全てを調べられた。そこまでは許せたが、人から預かった大事な記念品を、無残にも包装紙から箱に至るまで、バリバリに破られて調べられた。私は「あっと!」声を上げてしまった。職員はそのまま散らかした状態のままで「よし!行け!」の一言。今もって忘れられないショックな出来事であった。写真は横浜税関のシンボル「クイーンの塔」である。

撮影2004年 春