◆「楠木正成」ゆかりの地

 首都・東京に次いで日本第二の大都市それが大阪だ。その大阪で今だに村が一つだけ残っていると聞いて驚きだ。「千早赤阪村」がそれだ。ここは大阪府下最高峰を誇る「金剛山」を有する自然に恵まれた金剛生駒紀泉国定公園と、太平記に登場する武将「楠木正成」ゆかりの史跡が点在する歴史ロマンの残る村である。楠木正成(大楠公)と聞けば神戸・湊川の合戦でご縁のあるお方である。

 1336(延元元年)後醍醐天皇の朝廷軍にある大楠公は、足利尊氏と戦う命を受け決死の覚悟で兵庫へ出陣。途中、桜井の駅で息子・正行に後事を託して国に帰るよう諭す。有名なシーンである。手兵700で足利尊氏の弟(直義)の大軍と16度にわたる激しい合戦の末、善戦虚しく敗れ「七世報国」を誓って殉節。敗れた側の大楠公の忠義が讃えられ、今日に至るまで語り継がれている。

               「大楠公の唄」       作詞:落合直文  作曲:奥山朝恭


青葉茂れる 桜井の 
里のわたりの 夕まぐれ
木の下蔭に 駒とめて
世の行く末を つくづくと
忍ぶ鎧の 袖の上に
散るは涙か はた露か


正成涙を 打ち払い
我子正行 呼び寄せて
父は兵庫に 赴かん 
彼方の浦にて 討死せん
汝はここまで 来たれども
とくとく帰れ 故郷へ


父上いかに のたもうも
見捨てまつりて 我一人
いかで帰らん 帰られん
この正行は 年こそは
いまだ若けれ もろともに
御供仕えん 死出の旅


汝をここより 帰さんは
わが私の 為ならず
己れ討死 なさんには
世は尊氏の ままならん
早く生いたち 大君に
仕えまつれよ 国のため


この一刀は 往し年
君の賜いし 物なるぞ
この世の別れの 形見にと
汝にこれを 贈りてん
行けよ正行 故郷へ
老いたる母の 待ちまさん


ともに見送り 見返りて
別れを惜しむ 折からに
またも降り来る 五月雨
空に聞こゆる 時鳥
誰れか哀れを 聞かざらん
われ血に泣く その声を

 私の大好きな歌である。新緑薫る千早赤阪村には700年前と同じ爽やかな風が吹いていた。 私は車で幸せな家族と共に兵庫に帰ります。

撮影2004年 春