◆兵どもが夢の跡「ジャンプ台」

 爽やかな空気と新緑が眩しい「大倉山ジャンプ競技場」に着いた。ウィンタースポーツで最も興味があるのはジャンプ競技である。出来るだけ遠くに飛び、しかも格好良く飛び着地する。これが基本で非常に分かり易い競技でもある。故にファンも多く根強い人気を保っている。と言うのも1972(昭和47)年2月3日、アジアで初めて第11回冬季オリンピック大会が札幌で開幕されたのである。参加35カ国、1,232人の代表選手。それを上回る報道陣。世界中の人がオリンピックの各競技を、日本を、そして札幌を注目して見ている。

 ウィンタースポーツにおいて日本は世界から見て、全ての競技でまだまだ遅れを取っている時代であった。日本人は弱く外国人は強いというイメージを、国民の大半の人が持っていた。事実過去の競技からしてすべてが結果として現れていた。がしかし開催国として多くの温かい声援と執念が感動的な奇跡を呼んだ。それは70b級ジャンプで信じがたいドラマが起こったのだ。日本はこれまで冬季オリンピックでは一度も金メダルを獲得したことがなかった。しかし笠谷幸生、金野昭次、青地清二の三人のジャンパーが何と金・銀・銅のメダルを独占してしまったのである。日本中がこのニュースに湧きに湧いたのはいうまでもない。

 あれから32年の歳月が流れて私は今、札幌の大倉山ジャンプ競技場の頂上にいる。正面向こうには札幌の大都会が見える。ジャンパーにとっては町をめがけて飛ぶようになる、世界でも珍しい競技場である。そして右の山裾にあの奇跡の70bジャンプ台が見えた。宮の森ジャンプ競技場である。あそこで「日の丸飛行隊」が見事な感動のドラマを演じてくれたのだ。日本の国民は彼ら三人を永遠に称えると共に、その栄光はいつまでも忘れ得ないであろう。そのジャンプ台には今は人影もなく、ゆっくりと休養しているように見えた。ありがとうの言葉を残して・・・・。

撮影2004年 春