1972(昭和47)年私は東京・中野区に住んでいた。近くのレストランで食事をしたりお茶を飲んだり、親しく通っていた店があった。夜11時近くその店に行くと、一人の男が酔っ払ってからんだり喚いたり、店主夫婦を困らせている。仕方なく仲間4人で抱えて家につれて帰る。我々にとっては全く見ず知らずの男である。勤めていた店を首になり荒れに荒れて酔いつぶれてしまったとのこと。その日より居候として2ヶ月間共に生活をした。彼は腕のいい板前で毎日料理を作ってくれた。出身は北海道の小樽とのこと。丁度その頃流行っていた歌が、東京ロマンチカの「小樽の人よ」。私の好きな歌でもあった。彼から故郷"小樽"の町をよく聞かしてもらった。その後、彼の就職・結婚式・お店の独立等に立会い、家族付き合いを今日まで続いている。不思議な人間の出会いであった。 爽やかな風に潮の香りがする小樽運河に立ち寄った。ここは北海道を代表する観光地である。神戸生まれの私にとって港町は特に親しみを感じる。小樽はかって北海道の経済の中心地として栄え、港は北の玄関として発展した。しかし街には平坦な地が少なく、海岸線を埋め立てて面積を増やした。 そんな中、1923(明治12)年に小樽運河は完成している。しかし時代と共に樺太輸送が途絶え、太平洋側の苫小牧港が整備された。更には小樽港内の埠頭の整備により、運河自体の使用が無くなり無用の長物となる。小樽市より道路拡張の埋め立てが打ち出されるも、保存運動の声が盛り、上がり結局は「ふれあいの小樽運河散歩道」として整備される。これが今、年間500万人を超える観光名所として、全国より見学に訪れるようになった。明治・大正期の石造り倉庫が建ち並び、運河沿いの御影石を敷き詰めた散策路。夕暮れに灯るガス燈はロマンチックな夜を演出してくれる。 撮影2004年 春
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