「♪〜時計台の 下で逢って 私の恋は はじまりました だまってあなたに ついてくだけで 私はとても 幸せだった 夢のような 恋のはじめ 忘れはしない 恋の町札幌・・・・・・・・・」私の大好きな石原裕次郎のロマンチックな素晴らしいムード曲である。この歌がヒットしたのは1972(昭和47)年。この年は日本の歴史の中でも大きな出来事がいくつかあった。 沖縄の返還、グァム島から横井庄一元軍曹の終戦を知らずして「恥ずかしながら」の言葉で帰還。連合赤軍の壮絶な闘争。そしてアジアで初めての第11回冬季オリンピックが札幌で開催された。大会を盛り上げるため札幌をテーマに色々な企画・アピールがなされ、歌にまでなったのが「恋の町札幌」であります。
札幌「時計台」はこれまで写真では何度か見たことがある。それは草原の中に異国情緒溢れる木造の大きな建物で、開拓時代の歴史が伝わってくるようなイメージを私は描いていた。いざ行って見ると第一印象として「え?これがそうなんだ」と意外と小さく思えた。と言うのも高いビルに囲まれ、その谷間の中にポツンと異質の建物が建っているようであったからだ。でも建物自体は札幌を代表する名所だけあって素晴らしいものであった。 歴史を紐解けば、北海道大学の前身である札幌農学校の演武場として1878(明治11)年に建築される。この当時のアメリカで流行した木造建築をモデルとしている。正面入り口上部に「演武場」と書かれた木額は岩倉具視の筆である。
この札幌農学校は明治40年までの28年間教育が行われ、985名にも及ぶ卒業生を社会の中に送り出している。この中には新渡戸稲造、内村鑑三、有島武郎を始め日本を代表する実業・官・教育界等に幅広い人材を世に送っている。教育は国を支え発展していくためには、最も大事であり事業であることが分かる。
夜の時計台の前を通りかかった。光の中に浮かび上がる建物は実に美しい。遠い歴史を物語っているようで、しばし立ち止まり眺めていた。恋人達が私の横を通り過ぎて行く。思わず「恋の町札幌」を口ずさむ私であった。「♪〜時計台の 下で逢って 私の恋は はじまりました・・」
撮影2004年 春
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