◆日本三景「天橋立」

 

 日本三景とは、日本の中で最も美しい景勝の地を三ヶ所選んだものをいう。これは今から約350年ほど前の寛永20年(江戸時代)に、当時の学者・林春斎が「日本国事跡考」に「丹後の天橋立、陸奥の松島、安芸の宮島を日本三景」と書いたのが始まりとされている。その当時は交通便も悪く、情報も入りにくい時代でもあり「現代の近畿・京都の日本海の天橋立、東北・宮城の松島、瀬戸内海・広島の宮島」と広範囲に亘っての選択にその信憑性が伺われる。

 この天橋立が選ばれた理由を現代版に置き換えて見るに、一つにはこの一画に有名な「磯清水」が滾々と湧き出ている。周囲が海に囲まれているにもかかわらず、塩分のない不思議な名水として「長寿の水」とも言われ、日本の名水百選に選ばれている。更に松並木は日本の松・百選、日本の道・百選、白砂青松の百選にも選ばれている。こうした事を考慮しても日本三景を江戸時代に選んだのはすごい選考力であったように思う。天橋立の生い立ちについは、大江山の麓を流れる野田川から砂を押し流し、与謝の海からの押し返しによって出来た砂嘴で全長は3.6km。自然の力の素晴らしさに驚異を感じる。

 天橋立に初めて行ったのは私が10歳の頃の夏休みであったと記憶している。家族4人と母方のお婆ちゃんと一緒であった。城崎温泉では江戸末期からの「旅館まつや」に泊まり、目前の「一の湯」で初めて温泉を体験。近くの日和山公園では海辺の水族園そして沖に見える竜宮城。そこから蒸気機関車の煙とススにまみれながら、暑くともトンネルに入れば窓を閉めたり開けたりしながら、着いたところが天橋立であった。橋の上から見る海は底まで透き通っていた。あまりの美しさに、私はすぐさまそこから飛び込みたくなる心境に駆られた。あれから45年が過ぎて再び同じ橋に立った。海底まで見える美しい海は今も同じだろうか?当時を思い出しつつ橋の上に立って下を見た。残念ながら底まで見えなかった。綺麗な水には違いないが透明度がまるで違うのである。しかし海に入って貝を拾い、海藻を採り、魚釣をする光景は今も昔も同じであった。  

 当時の旅行はそのあと京都の「大文字の送り火」を見学して終わっている。今その時の事を父に話してもあまり鮮明に記憶にないようだが、子供の心には明確に素晴らしい思い出としていつまでも残っている。この当時の父の行動に深く感謝したい。ありがとう! 

撮影2004年 春