高校に入学して驚いたのは、「李」と言う同姓の中国籍のクラスメイトが二人いたことである。これまであまり外国の人と接したことのない私であったが、そのうちの一人「李忠仁」君と気が合い、神戸市灘区の山の手にある彼の家によく遊びに行った。家に中は中国の家具・装飾品等がいっぱいで、私にとってはやはり異国を感じた。しかし強い好奇心も同時に持っていた。二人は心を開きお互いを理解し合えた。卒業後は共に東京の大学に進学。偶然にも中野区と杉並区に住み、それも歩いて行ける距離で、よく夜を徹して語り合ったものである。その後は社会人になってからも神戸にて交流は続いている。 ここ神戸は沢山の華橋(在日中国人)が住んでいる。外国人であるが故であろうか、逞しく商売に頑張り、お金持ちの人が多いように思えた。彼らにとってはそのお金が信用・信頼を生む大きなステータスにあったに違いない。世界各地にチャイナタウンがあるように神戸でも「南京町」として親しまれている。JR元町駅南の旧居留地に、せまい地域ではあるがこの一角に入るとそこは中国となる。中華料理店がずらりと並び、中国のお土産、雑貨、食品が売られている。特に出店での点心(シュウマイ・豚まん他)は客の心を捉え、簡単に買える気安さが人気を呼んでいる。赤が基調の色となっている為か建物も、看板も何もかも真っ赤である。中華料理と言っても北京、上海、広東、四川料理等幅は広い、四千年もの歴史があると聞く。私の友人が中国にVIPとして一週間滞在した際、朝昼晩の三食で期間中に同じ食べ物が二度出ることはなかった程、多彩な料理が豊富にあるという。10億の民の歴史に改めて感服する。 神戸は136年前に開港してより、多くの外国人を受け入れてきた歴史があります。そこには自然の素晴らしさに加え、経済・文化・教育等が整い、交流するにふさわしい環境にありました。日本がこれから向かう方向は世界の人々の共生は勿論のこと、今再び中国に目を向け、積極的に交流すべき時と強く感ずるものであります。日本は遠い昔より中国から沢山のものを学んでまいりました。神戸が日中友好の架け橋に、今後とも大きな役割を担っていく事と信じてやみません。 撮影2004年 春
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