◆ 江戸情緒が残る「浅草仲見世」

 毎年7月に浅草寺境内で「ほうずき市」が模様される。これには様々な色・大きさの「ほうずき」の鉢植えを露天商が威勢良く売っている。梅雨があけた頃であったように思う。大勢の見物人は浴衣を見にまとい、涼しげな金魚屋・風鈴売り等、お祭りにふさわしい出店が並ぶ。それは私が23歳の時でありました。中野区の近所の人から誘われて、初めて「ほうずき市」に出かけました。ほうずきの実は赤・黄・緑色に輝き、それを優しく揉んで種を抜き、口に入れて音を鳴らす遊びであります。今の時代では遊び道具も沢山あり、このように「ほうずき」だけの市まで開かれる、その魅力が私にはよくわからない。おそらく江戸時代から近年まで、庶民の身近な季節を感じる楽しみな遊びであったのであろう。

 「♪〜 さあさ着いた 着きました  達者で永生き するように  お参りしましょ 観音様です おっ母さん ここがここが浅草よ  お祭りみたいに にぎやかね」私の大好きな島倉千代子の「東京だよおっ母さん」の歌の一節である。この歌を聴くたびに、また口ずさむ時に我が母を思い出す(平成元年に逝去)。そして涙する。それは母への尽きない思い出にある。子供の故郷とは母そのものなのであろう。私も神戸から母を東京の我が家(下宿)へ呼んだことがある。「男やもめにうじが湧く」とはよく言ったもので、普段掃除をしない私は母を近くの喫茶店で待たして置き、その間に大掃除である。2時間3時間掃除をしても一向に片付いたようにも思えない。ふと気がつくと母は知らない東京の喫茶店で一人ぼっちで待たしている。迎えにいったものの、寂しい思いをさせて申し訳ない気持で一杯。苦い経験であった。

 浅草は母と共に東京見物をした忘れられない思い出の地でもある。ゆっくりと仲見世の通りを歩く。ここはまるでお祭りのような華やかさと、人通りの賑わいで心がウキウキとしてくる。そして日本人の心の故郷のような感さえする不思議な場所なのである。

撮影2004年 春