◆国会議事堂は国の操舵室

 国会議事堂に過去一度だけ入ったことがあります。それは1962(昭和37)年神戸市立飛松中学からの修学旅行でありました。物々しい雰囲気の中、衆議院か参議院か記憶にないが大きな会議場を見学した。赤いジュウタンの上も歩いた。社会科の教科書で見た、そして学んだとおりである。今その場所に自分がいるのだと思うと、感動した思い出が鮮明に甦ってくる。

 ここは日本の政治の中心となる場所。それ故に国家の威厳ある象徴的な建物の建設をするにあたっては、多くの国民の意識の同意を得なければならない。それは大正7年のことであった。国会議事堂の設計図案を懸賞募集し、広く国民に呼びかけたのだ。その結果、当選した作品を参考とし設計図が決定された。大正9年に着工して17年の歳月をかけ1936(昭和11)年に完成を見ている。費用は2,580万円というから、今の時代にすればごく一般的なマンションの一部屋分くらいになろうか。工事に従事した延べ人数は何と254万人と聞くから、当時の2,580万円が如何に大きな額であるかがうかがえる。

 日本の国の歴史を動かしてきたこの場所には、時に狂った魔物が住むように思える。第2次世界戦争のあの悲惨な歴史を引き起こしたのはこの場所でありました。日本人の数百万人もの尊い生命が 犠牲になりました。そして近隣諸国に侵略し、多くの生命を奪い去るというとんでもない悪魔の決定もなされました。立派な建物だから良い政治が行われるとは限らない。全ては人間の心で決まるのである。 平和を愛し国民を愛する政治が成されるのであれば、必然的に誰からも尊敬される、素晴らしい場所となることは間違いありません。これからの国会議事堂は永遠にしてそうあるべきだと希望する。

 私の周りにも国会議員が沢山活躍している。嬉しい限りである。これから先、国内にも国際的にも沢山の難問が降りかかってくることは当然のことでありましょう。しかし懸命な判断と民主主義の原則の下、人間生命の尊厳第一に見事な日本国の舵をお願いしたいものです。

撮影2004年 冬