神戸港は古くから「大和田の泊」と呼ばれ、中国大陸や朝鮮半島と交流をしておりました。1868(慶応3)年の開港と同時に、外国人居留地として東はフラワーロード、西は鯉川筋、北は三宮神社、南は海岸通りまでのエリアでありました。外国人が居住し、商業や文化活動が繰り広げられ、まさに日本の中の外国がそこにありました。建物も重厚なレトロビル、そしてレンガ造りの歩道やガス燈は、今もヨーロッパの街並みを思わせる。その威容と雰囲気は厳然として残されております。 私は高校生頃まで神戸で生活する中で、旧居留地内にある「大丸百貨店」によく家族で買い物に行きました。そしてその周辺を歩くこともしばしばありましたが、どことなく街並みの雰囲気が違うことを子供ながらに感じておりました。その違いとは何だろうと思い出すに、一言でいえばそこは「外国」だったのかも知れません。 現代この地域を歩いて驚くことは、レトロビルの一部はショッピングビルやカフェとして利用され、地元神戸っ子をはじめ多くの人に親しまれております。特に海外の一流ブランドのファッションのお店が軒を連ね、新しい外国がそこにあるように私の目には映りました。 阪神淡路大震災(平成7年)の年末に、光の祭典「神戸ルミナリエ」が開催されました。被災にあった神戸の人たちに、生きる喜びと希望を与える企画が持たれたのでした。この光はイタリアからの提供で、異国の美しさを見事なまでに感じられる素晴らしいものでありました。その開催の地が「旧居留地」内で行われることに、私は不思議な因縁を感じざるを得ませんでした。
今この地域は神戸市の政治、経済、文化の中心地として重要な役割を果たしており、まさに一等地なのであります。 撮影2003年 冬
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