昭和5年2月14日「日本の海の王者たれ」との期待を込め、大型練習船「海王丸」は進水しました。船種は四本マストバーク型帆船で,全長97m幅13m,総トン数2,238.40トン、総帆数29枚(畳1,245枚)。世界の人々から「海の貴婦人」と賞賛され親しまれてきました。 「海王丸」は独立行政法人公開訓練所の所属で、航海訓練を通し知識と実践力を備えた優秀な人材育成する。将来は客船や、タンカー、フェリーなどの船長、機関長を目指す商船大学、商船高等学校等の学生たちが対象となっています。 昭和48年頃、今から30年も前のことになるが、東京・晴海埠頭に「海王丸」が停泊していた。後輩の紹介で乗船の機会に恵まれた。船の中には沢山の商船学校の生徒が乗り組んでいた。三段ベッドが所せましと立ち並ぶ部屋の中で、人生を将来を、そして人間について夜遅くまで語り合った。学生たちの目が輝いていたことを今も印象深く覚えている。あのときの学生は今では50歳になっている。社会の中で男の人生で最も充実したときを迎えていることになるが。 海に囲まれた日本は昔から船が重要な輸送手段でありました。当然船乗りさんには一種憧れのような、男の仕事としての願望がありました。特に外国航路の船員には。「海王丸」それは男のロマンそのものでもあったのです。しかし時代の流れは様々に変化し、男のロマンも多様化しつつある。今では船員を希望する人も少なくなっている日本の現実があることも知っている。 撮影2003年 秋
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