移情閣(孫中山記念館)は、中国の革命家・政治家・思想家である孫文を顕彰する、日本で唯一の博物館でありあます。この建物はもともと神戸で活躍していた中国人実業家の別荘「松海山荘」を前身としており、1915年(大正4年)春に、その別荘の東側に「移情閣」が建てられました。地元神戸では「六角堂」として親しまれてきました。
私達の中学生時代は、異性との間で「文通」がよく流行ったものでした。私は何かの本の中に文通希望の欄を見つけ、同じ長田区内に住む王玉珍という女性に手紙を出しました。彼女は中国人です。異国という興味もあり十通前後手紙をやり取りしたでしょうか。ポストが気にかかるほど毎日が楽しみでもありました。しかし先方の父親から国籍が違うということで、文通交際はそこでストップ。すぐ近くに住んでいながら、一度もお会いすることもなく終ってしまいました。 高校生のとき、同じクラスの中に二人の中国人がおりました。二人とも華僑の実業家の息子で、私にとってはお金持ちに見えました。そのうちの一人が「李忠仁」君で、よく一緒に遊ぶ好きな友人でありました。彼の家にも行きました。家の中は中国のムードがプンプンするカルチャーショックも感じつつ、それでいて中国人という異国に興味を持ちました。卒業後二人とも東京の大学に進学。偶然にもJR高円寺駅から歩いていける距離に共に住み、その後も交流は続きました。
世界一の吊り橋「明石海峡大橋」のたもとに「移情閣」は建っております。夢の架け橋といわれたこの橋に、中国と日本の"友情の橋"が、永遠に続く願いが込められているように私には映って見えるのです。
1984年11月12日孫文生誕の日に「孫中山記念館」として一般公開されております。 撮影2003年 秋
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