神戸市長田区駒ケ林町、昔から漁村として栄えてきた地域であります。私の母もここで生まれ育っている。お爺ちゃん(母の父)は神戸中央市場の魚類の仕事をしていました。父は娘がいつまでも可愛いのでしょう、私の家にしょっちゅう魚を持ってきてくれます。家に上がりもせず、ほとんど言葉も交わすこともなく、渡せばそのまま帰ってしまう。鍋に入りきれないほどの大きな伊勢海老。その味は今でも忘れられない思い出です。そんなお爺ちゃんが大好きでした。他にももっと大きな理由がありました。それは子供にとっての楽しみは、お正月お盆のお小遣いを貰うことでありました。そのお小遣いの額が大事です。あのおばちゃんはいくらくらいで、このおばちゃんはこれくらい。しかしお爺ちゃんは5,000円がいつも決まって入っています。今から45年前後のことです。子供ながらに大変な額でありました。 したがって、駒ケ林のおじいちゃんの家にはよく行きました。海岸は砂浜であまりきれいなものではなかったがよく遊びました。海はすぐ深みがあり、子供の海水浴には不向きのようにいつも感じていました。伝馬船に乗せてもらったときは本当にうれしく、艪を漕いで進む手つきに不思議な興味を持ちました。そして岸辺近くまで来たとき、突然後ろから抱えられて海の中に放り込まれてしまった。足がたたないことがすぐ分かりました。小学校2〜3年の頃です。まったく泳げない私は、手と足をバタバタし泣き叫び水を飲み、近くのロープまでそれこそ必死でもがきながらやっとしがみつきました。途中このまま死んでしまうのではないかと頭をよぎりました。これがきっかけで2m3mと泳げるようになりました。その後は50m、100mと。 1961(昭和36)年砂浜の海岸からコンクリートの岸壁に変わり、「長田港」として大小の船が横付けに着岸。カニを取り貝を拾い、砂遊びをした面影は今はありません。「左義長」として砂浜で勇壮なる喧嘩祭りのあの賑わい。伝統の行事は消えていき、経済発展最優先の時代の波にいささか寂しさが残る。 撮影2003年 秋
|