◆銀座のシンボル「服部時計店」

 銀座という名前は全国各地に点在する。その生みの親が東京都中央区の銀座であることは言うまでもないことだが、銀座といってもいささか広うござんす。銀座4丁目の交差点の一角に、しゃれたヨーロッパ調の堂々たる風格を感じさせるビル「服部時計店」に目を引く。まさに銀座の象徴的存在なのです。竣工は1932(昭和7)年であるから71年も前のことになります。地震の多い東京にあって、更には太平洋戦争の激しい爆撃にも耐え、今日まで生き残れたのは鉄筋鉄骨コンクリート造に加え、外壁の強靭な御影石にあります。このビルの特徴は屋上に立っている時計台にあり、四面ある文字盤は正確に東西南北を指し、周りにいる人たちへの時間を知らせるサービスとなりました。

 求人広告を見て銀座の「松屋」という有名なデパートに勤めたことがあります。確か大学3年生の頃だと思う、仕事の内容はごみ処理。燃える紙くずをボイラーで燃やすのである。長い期間勤めたわけでもないが、燃える炎の近くでの仕事は、汗が吹き出てくる苦しい地獄でありました。体には自信があったものの毎日が脱水状態であり、飲み物を買うお金も十分には持っていない節約節約の日々でありました。ゴミとほこりの中での仕事は、顔も体も真っ黒でフロにも入らずに家まで帰ります。途中、服部時計店の前を通りながら「ここは日本の繁華街のど真ん中なんや」周りにはしゃれた服装に身を包み、優雅な人たちが "銀ブラ"を楽しむ。「いつの日か私も背広ネクタイでめかしこみ、銀座を歩けるようになりたいーーー。」

 それから3年。社会人になって、神戸から上京してこられた米川清二さん(元阪神タイガースのピッチャー)夫婦と銀座で楽しく食事をしました。「四季」という当時の私にとっては高級レストランで、ビルの最上階にありました。そこからの眺めは素晴らしく、服部時計店の時計台も見事に見えました。 紺の背広に赤いネクタイの、颯爽とした若武者の私の姿でありました。

撮影2003年 春